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2016年 10月 13~14日  東海部明日の友の会の集い

   
井ノ川勝牧師
  

2016年 10月13日、「東海部明日の友の会の集い」での主題講演

2016.10.13. 「品位をもって歩もう~今、なぜ羽仁もと子なのか~」

       ローマ13:11~14

  

1.①皆さんは朝の連続テレビ小説を観ているでしょうか。私は毎日、観ています。最近、キリスト者の女性を描いているドラマが続いています。「花子とアン」では、村岡花子、『赤毛のアン』を翻訳した児童文学の翻訳者。「あさが来た」では、広岡浅子、明治の女性実業家、日本女子大学の創立者です。テレビでは残念ながら教会で洗礼を受け、キリスト信仰に生きた方であることは強調されていませんでした。また、つい最近まで、「とと姉ちゃん」が放映されていました。『暮らしの手帖』の編集者・大橋鎭子をモデルにしたものです。この方はキリスト者ではありません。しかし、日本の近代、明治、大正、昭和を生きた女性たち、今日の女性たちの先駆的な役割を果たした女性たちの姿が生き生きと描かれていました。

 実は、羽仁もと子をモデルにした朝の連続テレビ小説があったのです。皆さん、覚えていますか。「はね駒」です。女優の斎藤由紀が演じました。日本初の女性新聞記者というキャチフレーズのドラマでした。ドラマでは青森の八戸で生まれた主人公が仙台のキリスト教主義の女学校に入学し、沢田研二が演じる二枚目の伝道者と出会い、キリスト教に触れる。やがて東京に出て、新聞社に入社し、女性初の新聞記者となるという展開でした。

 

②実際の羽仁もと子は1873年(明治6年)青森の八戸で生まれ、やがて上京し、東京府立第一高等女学校2年に編入し、友人に誘われて明石町の教会に通うようになり、洗礼を受けられます。17歳の時です。第一高等女学校卒業後、キリスト教主義の明治女学校高等科に入学しました。生徒の多くが出席する一番町教会、今日の富士見町教会に出席し、当時の日本代表的な伝道者・植村正久牧師の説教を聴き、聖書の御言葉に深く心を惹かれるようになります。この植村正久牧師こそ、「自由学園」の名付け親となります。聖書の「真理はあなたがたに自由を得させる」という主イエスの御言葉から採られました。羽仁もと子は一度は八戸へ戻られますが、再び上京し、報知新聞社に入社し、女性新聞記者第一号となります。そして同僚で7歳年下の羽仁吉一と結婚します。『暮らしの手帖』は戦後に創刊された女性雑誌ですが、羽仁もと子の『婦人の友』の前身の『家庭の友』は1903年(明治36年)に創刊されていますから、驚きです。今日まで続き、多くの読者を得ていることは、更に驚きです。

 

2.①連続テレビ小説の女性たちの生き方は、今日の女性たちの生き方に示唆を与えるものが多くあります。今日の説教題の副題に、「今、何故、羽仁もと子なのか」と付けました。羽仁もと子の生き方は決して古びず、むしろ今日の私どもの生き方に様々な示唆を与える新しさがあります。勿論、羽仁もと子の思想、考え方も大いに参考になります。『羽仁もと子著作集』を読めば、それは分かります。私が今日、触れたいのは、羽仁もと子の生きる姿勢です。その人の思想、業績は何よりも、その人の生きる姿勢に全て現れています。羽仁もと子のモットーは、「思想しつつ、生活しつつ、祈りつつ」です。また、「朝起きて聖書を読み、昼は疲れるまで働き、夜は祈りて眠る」です。ここで特徴的なのは、生活と祈り、生活と聖書が深く結び付いている点です。これらのモットーは言い換えれば、生活の中で聖書の御言葉に聴き、生活の中で聖書の御言葉を生きたということです。それだけに、羽仁もと子の生きる姿勢、生活の姿勢にこそ、羽仁もと子が大切にした思想も、教育も、祈りも、信仰も現れている、集約されていると言えます。

 

②NHKのEテレで、「100分で名著」という番組があります。今年の1月、内村鑑三の『代表的日本人』が採り上げられました。その中で、『代表的日本人』との姉妹本である『後世への最大遺物』も採り上げられました。これから世に出ようとする若者に語った講演です。その中で、私どもにとって最も大切なものは、Lifeだと言います。Lifeは「生命」「生活」「人生」、様々な意味が込められた言葉で、日本語では訳しづらい言葉です。内村はLifeは三つの関係が生きていることだと捉えます。自分と他者との関係、自分と歴史との関係、すなわち、自分と過去の人々との関係、そして、自分と神との関係。この三つの関係が生き生きとしてこそ、Lifeが生き生きとしたものとなる。羽仁もと子のモットーで当てはめれば、「思想しつつ」が「自分と歴史との関係」、「生活しつつ」が「自分と他者との関係」、そして、「祈りつつ」が「自分と神との関係」です。

 内村は私どもが後世に遺せる最大のものは何かを問います。何か素晴らしい思想を生み出したでもなく、何か素晴らしい業績を打ち立てたでもない。それでは何か。アノ人はこの世の中に活きているあいだは真面目なる生涯を送った人であるといわれることこそ、後世の最大遺物なのだとかたるのです。

「真面目なる生涯」「真摯なる生涯」、内村の言葉で言えば、それこそ「高尚なる勇ましい生涯」であると言うのです。

 羽仁もと子は将に、「真面目なる生涯」「真摯な生涯」「高尚なる勇ましい生涯」を送った。「真面目」「真摯」であるとはどういうことでしょうか。生きる焦点が定まっている。一点に集中していることです。そのような生きる姿勢こそ、品位ある生き方です。品位ある生き方とは、美しい生き方ということです。私どもも羽仁もと子のように、品位ある生き方をしたい。それが本日の説教題となっています。

 

3.①私が羽仁もと子の言葉で一番好きな言葉は、『婦人の友』7月号にも書きましたが、次の言葉です。私どもの心の中は絶えず二つの動力が凌(しの)ぎ合い、綱引きをしています。一つの動力は「やってみよう」、もう一つの動力は「どうせ駄目さ」。「やってみよう」という思いが心の中から生まれて来ると、すぐ後に、「どうせ駄目さ」という思いが生まれ、追いかけて来て、どんどん大きくなり、「やってみよう」という思いを呑み込んでしまう。私どもの毎日の生活を支配しているものは、「やってみたって、どうせ駄目さ」という諦めです。それは人の肺臓の中に住んで健全な呼吸をする力を蝕んで行く黴菌と同じだと語ります。

 羽仁もと子のこの言葉も、聖書の御言葉から生まれた言葉です。主イエスが語られた山上の説教があります。私どもは何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと、毎日、思い煩っている。思い煩うと、心の焦点が定まらなくなる。その時、私どもの生きる姿勢も崩れてしまう。曲がってしまう。だから主イエスは語るのです。空の鳥、野の花を見なさい。父なる神は必要な食べ物、装いを備えて下さる。ましてやあなたがたのいのちの、父なる神は心を砕かれないことがあろうか。あなたがたに必要なものを全て、父なる神はご存じであられる。だから思い煩うな。父なる神に心の焦点を合わせて生きよう。

②本日の説教題を「品位をもって歩もう」としました。品位ある生き方とはどのような生き方なのかということが主題です。今から9年前、「品格」を主題とする本が立て続けに出版され、話題を呼びました。覚えておられますか。『国家の品格』『女性の品格』『親の品格』です。このような主題の本が出版された背景には、日本国家、日本人が持っていた品格、品位が失われつつあるという危機感があったからだと思われます。しかし、問題は品格、品位とは何かです。それは論じる者によって随分異なった理解をします。私どものとって大切なことは、羽仁もと子が生活の基礎とした聖書の御言葉から聴くことです。聖書の中にこういう御言葉があります。「日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか」(ローマ書13:13)。聖書は私どもに「品位をもって歩もう」と勧めています。それでは聖書が語る「品位」とは何でしょうか。「品位」とは「美しい形」「美しい姿」という意味です。心惹く言葉です。美しい姿勢で生きる。そこに品位ある歩みがあると語ります。

 この「品位ある歩み」と対照的なのは、「この世の形に倣う」ことです。この世には私どもの心を惹く様々なものがあります。心の焦点が定まらなくなるような様々な魅惑するものがあります。この世の形に倣い、この世に染まると私どもの姿勢が崩れます。美しさが失われます。

 

4.①主イエスと親しい交わりをしていた姉妹に、マルタとマリアがいました。主イエスは度々、マルタとマリアの家を訪ねて、伝道の疲れを癒しています。主イエスを家に迎えたマルタとマリアは対照的な姿を採ります。姉のマルタは主イエスのもてなしのために、忙しく立ち働いていました。あれもしなければ、これもしなければと、一つのことに専念できず、心が千々に乱れていました。美しい姿勢を失っていました。それに対し、妹のマリアは主イエスの足許に座り込み、御言葉に聴き入っていました。ここから奉仕に励むマルタ型人間と、御言葉に聴くことを重んじるマリア型人間という二通りに分けることがされるようになりました。しばしば、友の会の会員は、奉仕に励むマルタ型人間だと言われるようになりました。しかし、そのような分け方は正しいのでしょうか。

 マルタは手伝わず、主イエスの足許に座り込んで、御言葉を聴くマリアに苛立ち、主イエスに向かって言います。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください」。主イエス答えられました。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い煩い、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」。

主イエスはマルタの奉仕を否定し、マリアの御言葉に聴く方に軍配を上げているのでしょうか。主イエスはマルタの奉仕を否定しているわけではありません。マルタの問題点は、「無くてはならぬただ一つ」を欠いている。その一つを欠いたら、マルタの奉仕は成り立たなくなる。それは何でしょうか。「無くてならぬただ一つ」とは、マリアが執った姿勢です。主の足許に座し、御言葉に聴く。「美しく主の傍らに座す」ということです。主の御言葉に真っすぐに聴く美しい姿勢です。この一点を欠いたら、マルタの奉仕も成り立たない。心が千々に乱れ、思い煩い、美しい奉仕の姿勢が崩れてします。羽仁もと子の三つのモットーで言えば、「祈りつつ」を欠いていたということです。「思想しつつ、生活しつつ、祈りつつ」、この三つが一つに結び合っている。マルタ型もマリア型もない。マルタの生活しつつとマリアの祈りつつは一つに結び合っているのです。「思想しつつ、生活しつつ、祈りつつ」。ここに美しい姿勢、品位ある歩みがあります。一つを欠いたら、美しい姿勢、品位ある姿勢が崩れてしまいます。

 

②羽仁もと子の人生にとって、幾つかの重要な岐路があったと思います。私はその一つの重要な岐路が、これだと思っています。羽仁もと子が『婦人之友』の前身の『家庭之友』を創刊したのは、1903年(明治36年)です。長女説子が誕生した年です。新しい家庭の雑誌が、家族が与えられた年に創刊されました。羽仁もと子、吉一夫婦にとって衝撃的な体験は、次女涼子を1歳7か月で肺炎で失ったことです。深い悲しみの中で、二人の祈りは深まり、生きる姿勢が成熟して行きました。1908年(明治41年)には三女恵子が誕生。そしてこの年に『婦人之友』を創刊します。1914年(大正3年)涼子の墓に近い雑司ヶ谷に移り住み、『子供之友』を創刊、翌年には『新少女』も創刊します。今日の目白です。やがてこの地に自由学園を創立することになります。そういたしますと、羽仁もと子・吉一夫妻の重要な岐路が、次女涼子を1歳7か月で亡くされたことにあると、私は思います。

 羽仁もと子が同じように子どもを亡くされた夫妻に接し、「悲し輝かし」という文章を綴っています。

「朝日にあけて夕日にくれる。その同じ日が、同じ世界が、昨日と今日と、こんなにもちがうのか。

 悲しみは胸にあふれ、かえらぬ愛しさが身をひたす。

 朝日にあけて夕日にくれる。その同じ日が、同じ世界が、今ものいい、今笑みつつあるものを、ことごとく消してゆく。

 大いなる墓場よ。生は無邪気に踊りつつ来たり、死は墓石を負うて音もなくその楽しい足音に追いついて来る。

 朝日にあけて夕日にくれる。この日も、この天地も、すべてのものの生命の墓場であったのか。

 すべてのものの生命の責任者よ、幼子をわれらに与えたものよ。

 彼のなき骸は灰になってしまいました。実にそのなき骸がー。灰にすることの出来ないこの縁、この思いを、あの幼児と共に、あなたはいずこに置きたもう。

 面をあげてわれらの天父を見れば、みかおは栄えに照り輝く。

 ああわが胸は悲し輝かし。

 朝日にあけて夕日にくれる。この日を働きこの夜を休み、私たちを信じてくれた立(亡児の名)のように、私たちも天父を信じる」(昭和3年8月)。

 私が心惹かれるのは、「悲し輝かし」という言葉です。相反する言葉が一つになって使われています。親にとって子どもに先立たれること程、辛いことはありません。「悲し輝かし」この言葉も、聖書の御言葉から生まれたのだと思います。夫に先立たれ、頼りにしていた一人息子に先立たれたナインの町のやもめがいました。今、息子の遺体が入れられた棺は町の外の墓へ運び出されるところでした。その葬列と真正面から向き合われたお方こそ、主イエスでした。やもめの一人息子を失った痛み、悲しみ、涙、死と、主イエスは真正面から向き合われ、心引き裂かれる痛みを感じながら、「もう泣かなくともよい」と語られ、棺に手を触れられました。母親の悲しみに手を触れられました。羽仁もと子も次女節子を失い、悲しみの心に主イエスの御手に触れられる経験をした。それが「悲し輝かし」という言葉となったと思われます。子どもを失った悲しみから、新しい歩みが生み出される。聖書にこういう御言葉があります。

「あなたがたが襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えてくださいます」(コリント一10:13)。

 

5.①最後に触れたいことがあります。羽仁もと子は共に生きる同志を必要としました。同志なくしては、『婦人之友』の創刊も、自由学園の設立もあり得ませんでした。その同志の第一は、夫の吉一です。それぞれ神から与えられた個性を生かし合いながら、お互い神から与えられたそれぞれの賜物を尊敬し合いました。聖書にこうあります。「愛には偽りがあってはなりません。・・兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい」(ローマ12:9~10)。金沢に戻ると、明日、結婚準備会がありますが、そこで必ず語る言葉です。将に、羽仁もと子と吉一夫婦は、尊敬をもって互いに相手を優れた者と認め合う愛に生きました。

 そして『婦人之友』、自由学園で志を共にする仲間を必要とし、重んじました。羽仁もと子の品位ある歩みは志を共有し合う、焦点の定まった仲間がいたからこそ、形造られていった美しさでありました。今回の主題、羽仁もと子の言葉ですね。「人ひとりで居るはよからず、慕わしき道を共に歩んで」。私どもも今、友の会の志を同じくする仲間を与えられていることは、何よりも幸いなことです。この交わりを通して、私どもも品位ある美しい姿勢で歩んで行くのです。