牧師紹介

   井ノ川 勝(いのかわ まさる)

       
1956年9月 群馬県で誕生
1977年12月 日本基督教団ベテル教会で受洗(授洗者・熊谷政喜牧師)
1984年3月 東京神学大学修士課程修了
1984年4月〜2014年3月(30年)
  伊勢市・日本基督教団山田教会牧師
常盤幼稚園園長
2014年4月 日本基督教団金沢教会牧師就任


   著書 『信仰生活の手引き 教会』(日本キリスト教団出版局)
「死と永遠の命」(全国連合長老会福音パンフレット)
「イエス・キリスト」(全国連合長老会伝道パンフレット)
   共著 『日本の教会と「魂への配慮」』(日本キリスト教団出版局)
『イエスと共に歩む生活―はじめの一歩Q&A30』(日本キリスト教団出版局)
『これからの日本の説教―説教者加藤常昭をめぐって』(キリスト新聞社)
説教集『想い起こせ、キリストの真実を』(教文館)
説教集『立ち上がり、歩きなさい』(教文館)


   

 私が初めてキリスト教に触れたのは、カトリック教会の幼稚園に入園した時でした。幼稚園の礼拝、食前の祈りを通して、天におられる父なる神に祈ることを覚えました。家には仏壇、神棚があったのですが、私が祈る時はいつも天におられる父なる神に祈っていました。

 私の両親はキリスト者ではありませんでしたが、祖母が唯一キリスト者でした。祖母の部屋には聖書の御言葉の掛軸がありました。「すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており」。祖母の部屋に入ると、その御言葉が目の中に飛び込んで来ました。何度も声に出して言ってみました。どうも後に続く文章がありそうだ。どんな文章が続くのだろう。子どもながらに想像しました。「すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており」だから、「すべての人間は神の審きを受ける」「すべての人間は地獄に墜ちる」に違いない。聖書の神さまは何と怖い神さまだろうと思い、体が震えました。

 小学校6年生から中学1年生の8か月間、突発性血小板減少紫斑病のため、群馬大学附属病院に入院しました。医師から両親に、最悪の事態も覚悟をするようにと言われたそうです。病院で自らの死と向き合い、また、様々な子どもたちの死と向き合う経験をしました。祖母の死を経験したのも、入院中のことでした。なぜ、将来のある子どもたち・友が死ななければならないのか。なぜ、私が病癒され、生きているのか。それが中学、高校時代の私の問いかけでした。

 大学の入学式の時、キリスト教主義大学でしたので、お祝いの聖書を贈呈されました。聖書を手にした時、祖母の部屋の掛軸に記された聖書の御言葉を想い起しました。聖書を新約聖書から読み進めました。大学の講義に来られていた熊谷政喜牧師に誘われて、熊谷牧師が牧会している渋谷区富ヶ谷にある日本基督教団ベテル教会の礼拝に出席するようになりました。そしてついに後に続く御言葉を発見しました。私が想像した文章とまったく反対の言葉でした。「彼らは価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである」(ローマ人への手紙3章24節)。なぜ、すべての人間が罪を犯し、神の栄光を受けられなくなっているにもかかわらず、価なしに、神の恵みにより、義とされ、救われるのか。二つの相反する文章をつなげる言葉こそ、キリスト・イエスの十字架の贖いの出来事でした。イエス・キリストの十字架の出来事が、私を生かし、生きる力を与えることを知らされたのは、礼拝での説教を聴き続けているなかでした。そしてイエス・キリストの復活の出来事が、私たちに死を超えた望みを与えてくださることを知らされました。

 皆さんも是非、教会の礼拝、集会に御出席ください。神さまはあなたが来られるのを待っておられます。